一、インドネシアにおける転法輪印像について
広島大学 伊藤奈保子
チャンディ・ボロブドゥールは方形六層、円形三層で構成され、東西南北の側面に中期密教、金剛界五仏の内四仏とされる阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就が基壇から第三回廊までの仏龕に各92軀が配され、マンダラ構成が考えられるが、その上方円壇三層には72軀(32・24・16)の結跏趺坐する転法輪印の如来像が安置されている。また東へ約3kmのチャンディ・ムンドゥットの三尊形式は、金剛手菩薩と観音菩薩を脇侍とし、中尊は椅坐する転法輪印の如来像である。中部ジャワ地域、シャイレーンドラ朝における密教系寺院の中心的石造像は皆、転法輪印を結ぶ。一方、鋳造像では同時期8~9世紀頃、同地域で智拳印を結ぶ大日如来像の如来形が78軀、菩薩形が24軀確認できる。
今回の発表では、鋳造像の転法輪印像に焦点をあて、大日如来の獅子坐等に着目し、インドネシアにおける転法輪印像の意義について考察を試みる。
二、近畿地方の春日造の制約に基づく屋根周りの特徴
福井大学 足立翔
春日造は、奈良市にある春日大社本殿に代表される本殿形式である。春日造は妻入の身舎と正面の庇により形成されるが、その屋根の取り合いは複雑である。平入の身舎の正面に庇を設けた流造や、隅木を入れて妻側に平側と同様の屋根を回し込む入母屋造とは屋根を形成する考え方がまったく異なると言っても過言ではない。
具体的には、妻側と平側の垂木の角度が異なり、妻側の垂木の根元の位置と高さが柱内とケラバで異なるなど、構造上のいくつかの制約を受けている。特に近世に入ると複雑な組物が本殿に一般的に用いられるようになるが、春日造においては、屋根の構成から生じる制約が組物まで及んでおり、手先の出し方にもほかにはない特徴が生じている。
そこで本発表では、春日造が集中的に分布する近畿地方において、修理工事報告書が発行されている重要文化財の春日造本殿を中心に各部寸法を調査し、比較分析を行った。その成果を報告する。
三、福山八幡宮社殿の建築的特色
比治山大学 山口佳巳
福山市北吉備町に所在する福山八幡宮は、境内の東西に二社の社殿群を同規模・同形式で並べ建てた珍しい神社である。いずれも、本殿・幣殿・拝殿を連ねた権現造社殿を中心とし、随身門、鳥居、総門までを一直線に配置する。棟札により天和三年(一六八三)に福山城主水野氏によって建築されたことが確かめられ、その当時の社殿が現存している。本報告では、この社殿群のうち権現造社殿についての実地調査の成果を報告し、建築的特色を示すこととする。
特に注目されるのは本殿の細部意匠の豊かさである。本殿の内外には十二支や植物などの彫刻を入れた本蟇股がすべての柱の中備として配され、隅部においては牡丹を籠彫りとした木鼻に、丸彫りの龍を組み込んだ出組とする。当地域の17世紀に遡る本殿のうち、最も華やかな本殿として位置づけられる。
四、福井県坂井市三国町米ケ脇の西光寺鐘撞堂
三重県警察本部 森吉夏鈴
福井大学 山田岳晴
福井県坂井市三国町米ケ脇に所在する西光寺は、寛文十二年(一六七二)に福井市川尻から当地に移転したと伝わる浄土真宗の寺院である。鐘撞堂は市指定文化財となっており、福井県教育委員会発行『近世社寺建築緊急調査報告書』では、十七世紀末期の建立と推定されるが、詳細は不明であった。
この度、学術的実地調査を行った結果、十六世紀中期のものであることが細部意匠の検討から明らかとなったので報告する。
西光寺鐘撞堂は、正面一間、側面一間、宝形造、桟瓦葺の唐様を基調とした四本柱形式の鐘撞堂である。木鼻の渦巻彫刻や拳鼻の上下の繰形がよく巻き、隅木の持送の雲形も中世の意匠を示しており、鐘撞堂は十六世紀中期の建立と判断できる。東大寺鐘撞堂を除いて、鐘撞堂としては最古の例の一つとなる。垂木より上が取り替わっているものの、柱、や頭貫、木鼻や拳鼻、組物などに当初材が見られ、日本建築史上重要な建築であると言える。
五、『殿中以下年中行事』に記された鎌倉公方邸の殿舎構成に関する一考察
広島大学 中村泰朗
『殿中以下年中行事』とは、室町幕府が設置した鎌倉府に関する故実書である。同書の記主は五代鎌倉公方・足利成氏に仕えた海老名季高で、その成立は享徳三年もしくは同五年とされる。ただし同書の基本的な部分は四代鎌倉公方・足利持氏期に成立し、それらを再構成したのが成氏期であったと考えられる。
同書の条目の一つに、「御所造并新造之御移徙之様体事」がある。同条目は「御所」すなわち鎌倉公方邸の構成と、移徙の際に行われた儀礼の様子を記録したものである。また同書の他条目では、邸内で行われた諸儀礼の様子が詳細に記されており、これらの記述から、鎌倉公方邸に存した諸殿舎の配置・平面規模などを知ることができる。
本発表では、「御所造并新造之御移徙之様体事」を精読するとともに、諸儀礼における人々の動線を検討する。そのうえで鎌倉公方邸の殿舎構成を史料に基づいて実証的に明らかにしたい。
六、一乗谷朝倉館の主要殿舎に関する一考察
―先行研究の問題点―
広島大学 梶原慎之介
一乗谷朝倉館は大名・朝倉氏の歴代当主が居住した館である。同館の跡地では発掘調査が進んでおり、さらに同時代の文献史料も比較的多く残されていることから、館内に存した諸殿舎の構成を検討することが可能である。
これまでの諸先学によって一乗谷朝倉館の復元やそれぞれの建物の機能について議論が展開されてきた。吉岡泰英氏によれば、一乗谷朝倉館には主殿と会所の機能を兼ね備えた常御殿の二つの主要な殿舎があったという。しかし、同館に関する先行研究は考古学的観点からのものが多く、建築史学的観点からの詳細な検討は行われていない。
そこで本発表では一乗谷朝倉館に存した主要殿舎について再検討を行う端緒として、まず同館の復元に関する研究史を整理する。その上で、諸先学で挙げられた復元根拠についての問題点を指摘する。
七、福山城伏見櫓に関する考察
―先行研究の課題―
広島大学 木本敢太
福山城伏見櫓は伏見城から移築されたことがほぼ確実とされている建造物である。その伝承が事実だとすれば、城郭建築の現存例としては最古級となる。また伏見城には豊臣秀吉が築いたものと徳川家康が築いたものとがある。福山城伏見櫓に関する先行研究では、同櫓がいずれの伏見城から移築されたのかについて議論が盛んに行われてきたが、同櫓の現状がどのような建築的特質を持っているのかについての分析は不十分と言える。
先行研究では現状の伏見櫓の平面や梁組が整然としていないことを指摘し、これを古式なものと評価した。しかし、未整備であることは古式であることの直接的根拠にはならず、そもそも未整備や古式と判断した根拠も明確に示されていない。また先行研究では平面や梁組の特異さを指摘しているが、他の類例建築との比較が不十分な状況にある。
そこで本発表では、これらの先行研究における課題を指摘し、同櫓の現状を詳細に検討する。
八、姫路城三の丸向御屋敷の部屋構成
福井大学 加藤祐基
姫路城には、天守をはじめ、多くの建築群が現存している。加えて、縄張りも原形に近い形で残っており、三の丸の縄張りも確認できる。一方で、かつての向御屋敷の建築群は現存していない。昨年度は向御屋敷の平面の復元について発表した。そこで今回は「玄武日記」「榊原家文書姫路日記」「酒井忠恭日記」など、複数の姫路城に関する日記を精読し、馬の見物などの行事等の記事から登場人物の姫路城内での立場を分析し、当該人物が使用している部屋の格を明らかにする。それにより、絵図に名前の記載がない部屋の名称や、向御屋敷の区域ごとの 部屋どうしの構成に基づく性格、活魚潭及び観風楼の位置関係、どこでどういった行為を行っていたかなどについて明らかにしたい。また、前回はその存在する位置を述べるだけであった北東部にある観風楼の二階の範囲と想定される平面図及び全体的な屋根伏図を提示したい。
九、岡山県倉敷市児島下津井の町家の正面構成
福井大学 原田龍範
岡山県倉敷市児島下津井地区は、北前船航路の港である沿岸部を中心に広がる街区を形成している。廻船業や港から瑜伽神社へ向う参拝客で栄えた港町であり古い町家が残っている。今回、町家及び土蔵146棟を対象に正面構成の実地調査及び年代判定を行った。その結果を報告する。
児島下津井の町家は、江戸・明治期のものがよく残っている。年代を通じて本瓦葺の町家が少なくなく、また、桁上に載せた与次郎梁と折置組組み合わせた小屋を持つ町家が相当数あることが判明した。さらに、庇の軒桁を磨き丸太とする技法や、一階庇と二階壁面境の前包と水切を、平瓦で一体的に形成する技法が複数の町家で見出された。同じ児島地域である田の口と共通性がある一方、他県では見られない、町家では珍しい技法である。
古い時期の町家が多く残り、特徴的な技法も見られることから、日本建築史上、重要な町家群であることを指摘する。
十、明治期和風大型民家の二階の平面構成
福井大学 大坂蒼真
江戸期において町家は、幕府により二階の居室は禁止されたため、辻子二階としており、一般的な居室ではなかった。江戸末期になると、二階に対する禁令は形骸化し、明治期になると禁令がなくなり、本格的な二階の居室を有する民家が増大した。よって明治期は二階の居室使用の画期といえる。しかし、日本建築史における民家研究では、一階の平面構成や意匠には言及・分析が重ねられるが、二階については総合的な研究がほとんど行われていない。
修理工事報告書が発行された重要文化財を中心に、明治期において二階に居室を有する大型民家の平面構成について調査する。報告書の概要説明や資料をもとに、居室の大きさや床の間の有無などによる各部屋の格の違い、二階の居室同士の構成や区画などをもとに、当該民家における各居室の用途を分析し、各町家の特徴の検討を行う。これらによって、明らかとなった明治という黎明期の二階の平面構成の特徴を提示したい。
十一、石碑に対する文化財としての認知
福井大学 山田岳晴
石碑は世界で建立されており、日本でも全国に広く分布し、古代から現代まで数多く建立されている。万人を対象とし、建立された場所にまつわる事象について、文章など意味のある内容を刻んでおり、広く後世に伝えることを石碑は意図している。そのため、石碑は人間の営みに基づく文化の一つと言え、文化財として重要な意味を持つ。一方で学術的には、地域的、時代的に広く、数多く分布することから、石碑の総合的な研究はほとんどなく、課題は多く残っている。
石碑に対する文化財の指定・登録状況を抽出すると、各石碑がそれぞれ、有形文化財〔建造物〕またはその構成要素、重要文化財〔美術工芸品〕の考古資料または古文書、記念物〔史跡〕、記念物〔名勝〕の構成要素となっており、認知としては多くの異なる分類に属していることがわかる。本発表では、これら認知の事例を通じて、石碑の有する広範な文化財的要素について検討したい。